2009年2月15日日曜日

高等教育費、見方によるが日本は相当高額だ!

Hands to the sky

in JCP若者ネットワーク
国際人権A規約(社会権規約) 1966年国連総会で採択
□13条2項b 高校教育の無償化
種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること
□13条2項c 大学教育(高等教育)の無償化

高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること"


参照元が日本共産党系なので、一定の配慮(より多面的な視点)が必要です。
しかし、この「中等、高等教育の家計負担を十分に軽くすべきだ」というのは重要な提言です。
というのも、日本の場合、学費や受験に備える費用負担という障壁の存在が結果として社会階層の固定という結果を生み出していることがわかっているからです。


苅谷 剛彦
in Wikipedia

教育社会学者、 東京大学大学院教育学研究科教授。

都立墨田川高校、東京大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。ノースウェスタン大学大学院博士課程修了。Ph.D(社会学)。

フランスの社会学者ピエール・ブルデューの社会階層論などを援用しつつ、ゆとり教育、学力低下の問題を生徒の家庭の社会的地位と関連させて論考した。資格的には平等な受験システムが、社会の上方流動性へのインセンティヴを生み出すが、そのために参加しなければならない受験競争には、多くの資金が必要とされるため、実質的に経済格差が学力格差を産出し、これを受験システムが再生産(ルプロダクシオン)する、という主張を展開している。
この種の研究は、自由主義者には大変不人気です。
というのも「教育といえども、受益者が負担すべき」という意見がまかり通るからです。
しかし、教育の社会的外部効果、つまり教育が社会に役に立つ、ということは単純に教育機会が与えられるだけでは成立しません。一定の教育水準が社会全体で達成されその知識を互いに共有していることを前提に、高度な問題解決が可能となるからです。
農業の例をあげましょう。農業の基礎知識を持っているグループと、もっていないグループがいるとします。もっているグループは当然のことながら肥料の三要素、チッソ、リン酸、カリウムの重要性とその配分の仕方を理解しています。それは有機肥料であれ化学肥料であれ、重要性は変わりません。もし、この知識がなければ、現代の競争の激しい農業の中で室町時代以前の試行錯誤を行う必要がでてきます。いつまでたっても作物が育たない荒地を抱えた貧農と、肥料の計算ができ、調達ができるおかげで十分な食料と販売収入が得られる自作農。この違いは明らかです。
ここであえて農業を例に挙げたのは、「農業なんて、学問は関係ない。地面に種を蒔けば育つだろう。」という安易な発想の人が多いということを私が実感しているからです。


教育を豊かにすることこそ、発展の礎なのです。


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